愛の贈り物


12.24は、オープンチャペル。
午前は、
カルメル聖歌隊による
クリスマス・キャロル「神様の贈り物」。
午後からは、
愛餐会とビンゴでした。

オー・ヘンリーの短編小説に、
「賢者の贈り物」という美しい物語があります。
貧しさの中でも
心豊かなクリスマスを祝うために、
妻のデラは
自分の美しく長い髪を売って、
夫が大切にしている懐中時計に合う
プラチナの鎖を買い求めました。

一方、夫のジムは
妻の美しい髪に似合うであろうと、
べっこうの櫛を買い求めていました。
代々受け継いできた大切な懐中時計を売って…。

夫ジムは
妻の喜ぶ顔を思う浮かべながら帰宅しましたが、
短い髪となっていた妻の姿を見て
立ち尽くしてしまいます。

懐中時計がないことを知った
妻デラもまた、
同様だったことでしょう。

プラチナの鎖とべっこうの櫛、
そのどちらも無駄になってしまいました。
懐中時計も美しい長髪も
もはやなかったのですから。

けれども、二人は
相互に思いやる心を、愛の贈り物を
受け取ったのです。

自分の大切なものを犠牲にしてでも
愛する者に与えたいと願う心は
何と美しい心でしょうか。

オー・ヘンリーは、
贈り物をする人たちの中で
この二人こそ賢明な者であると
結んでいます。

この美しい物語を
感動しながら思い巡らしていた時、
ふと、

もしこの物語が
一方通行のプレゼントだったならば、
どうなるのだろう?と思いました。

もちろん、それでも

自分を犠牲にして相手を思いやる愛の心が
輝きを失うことはないでしょう。

けれども、この物語の美しい感動は、

両者が互いに
自己をささげようとしているところにこそ
あるのではないでしょうか?

イエスは言われました。
「わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい」と。

このクリスマス、
相互の愛があふれるようにと、
願い祈ります。
二千年前の
世界で初めのクリスマス…

神様はご自分の愛で、
すべての人の心を豊かにしたい、
人が相互に愛し合い、
人が神を愛する者となることを
お望みでした。

けれども、
「言(キリスト)は、自分の民のところへ来たが、
民は受け入れなかった」と、
聖書は言っています。

悲しいかな、神様の愛の贈り物は
一方通行だったのです。

「しかし、言(キリスト)は、自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」
(ヨハネによる福音書 1:11-12)

愛なるキリストを受け入れた人は
キリストの愛に生きる者と変えられ、
神への愛のために
自己をささげた人たちによって、
神の愛は世界に広がり、
今日、世界中の教会で
神の愛が讃えられています。
ご自分のすべてを与えたいと、
神の愛があらわされたクリスマス。

わたしたちが
できる限りの愛をささげるなら、
最も美しいクリスマスの物語が
そこに輝くことでしょう。

神は愛なり!